「親が認知症になったら、実家や預金はどうなるんだろう」
親の物忘れが増えてきたとき、ふとよぎる不安ではないでしょうか。
私は介護福祉士として15年以上、認知症のご本人とそのご家族を現場で見てきました。
そこで何度も目にしたのが、「本人の財産なのに、家族が1円も動かせない」という状況です。
その備えとして、いま注目されているのが家族信託です。
信頼できる家族に財産の管理を託しておくことで、認知症が進んだ後も、家族が本人のために財産を管理・活用できるようになります。
ただし、家族信託には大きな条件があります。契約できるのは、判断する力があるうちだけです。
この記事では、家族信託の仕組み・成年後見制度との違い・費用と手続きの流れを、介護の現場の視点も交えて解説します。
家族信託とは|財産の管理を「信頼する家族に託す」契約

家族信託とは、自分の財産の管理や処分を、信頼できる家族に託す契約です。登場人物は3人です。
- 委託者……財産を託す人(例:父)
- 受託者……財産を託されて管理する人(例:長男)
- 受益者……財産から利益を受ける人(例:父)
典型的な形は、「父が委託者と受益者を兼ね、長男が受託者になる」パターンです。
この場合、実家や預金の管理・処分をする権限は長男に移りますが、そこから生まれる利益(家に住む・お金を使う)は父のままです。
つまり「財産はあくまで親のために使う。ただし管理のハンドルは子が握る」という仕組みです。
そのため、父が認知症になっても財産は止まりません。
長男が契約の範囲内で、施設の入居費用を父の預金から支払ったり、空き家になった実家を売却したりできるのです。
なぜ必要?|認知症になると、財産は「動かせなくなる」

「わざわざ契約なんて大げさな」と思うかもしれません。
ですが、認知症で判断する力が失われると、次のことが家族でもできなくなります。
- 本人の口座からまとまったお金を引き出す。銀行に認知症を把握されると、口座の取引が制限される(医療費・介護費など本人のための支払いは柔軟に対応してもらえる場合もありますが、銀行の判断次第で確実ではありません)
- 実家を売却する(本人の意思確認ができないと契約できません)
- 定期預金の解約、保険の手続き
介護施設の入居費用を親自身の預金から出したいのに、その預金が動かせない——。
私が介護の現場で何度も見てきた、いちばん切実な「困った」です。
そして、これは一部の家庭の話ではありません。
厚生労働省の研究班の推計によると、認知症の高齢者は2022年時点で約443万人。2030年には約523万人に増える見込みです。
このように、認知症で預金が動かせなくなると、他に使える制度は原則として成年後見制度のみです。
では、家族信託と成年後見制度は何が違うのでしょうか。
成年後見制度との違い|「いつ・誰が・どこまで」で比べる
2つの制度の違いを、4つの軸で整理します。
①始まるタイミング
- 家族信託……元気なうちに契約して備える(認知症が進んでからでは契約できません)
- 法定後見……判断する力が低下した後に、家庭裁判所へ申し立てる
②誰が管理するか
- 家族信託……自分で選んだ家族
- 法定後見……家庭裁判所が選ぶ(親族ではなく、弁護士や司法書士などの専門職が選ばれることも多いです)
③管理の自由度
- 家族信託……契約で決めた目的の範囲で柔軟に動ける(実家の売却・賃貸、資産の組み替えなど)
- 法定後見……目的は「本人の財産を守ること」。財産を守る方向の管理が基本で、活用には制限があります
④費用のかかり方
- 家族信託……契約時にまとまった初期費用。その後の継続費用は原則かかりません
- 法定後見……専門職が後見人になると報酬が発生します。東京家庭裁判所のめやすで基本報酬は月額2万円(管理財産1,000万円以下の場合)、管理財産が多いと月5〜6万円(管理財産5,000万円超の場合)。しかも原則、本人が亡くなるまで続きます。
仮に月2万円が10年続けば、合計240万円。
「家族信託の初期費用は高い」と言われますが、後見の継続費用と比べて判断するのが正しい見方です。
ひとつ注意点があります。
家族信託は財産の管理を託す契約なので、介護施設の入居契約や医療の手続きを代わりに行う「身上監護」の機能はありません。
その部分まで備えたい場合は、任意後見制度との併用を検討します。
家族信託でできること・できないこと
できること
- 認知症が進んだ後の、預金の管理と生活費・介護費用の支払い
- 実家の売却・賃貸(空き家対策として現場でもニーズが高い部分です)
- 亡くなった後の財産の引き継ぎ先の指定(遺言の代わりに近い機能)
できないこと・注意点
- 施設入居や医療の契約などの身上監護
- 年金の受け取り口座は信託できません(年金は本人名義の口座でしか受け取れません)
- 遺留分(家族に保障された最低限の取り分)を無視した設計は、争いの原因になります
費用と手続きの流れ|3ステップ

ステップ1|家族会議で「誰に・何を・何のために」を決める
家族信託の土台は契約書ではなく、家族の合意です。
受託者にならない兄弟姉妹にも必ず共有してください。「聞いていない」が、後のトラブルのいちばんの火種です。
ステップ2|専門家と設計し、公正証書で契約する
家族信託は設計の自由度が高いぶん、法律の専門知識が欠かせません。
司法書士や弁護士など家族信託に詳しい専門家と内容を設計し、契約書は公正証書にするのが一般的です。
費用は、専門家への報酬と公正証書の作成手数料、不動産がある場合の登記費用をあわせて、数十万円規模になるのが一般的です(信託する財産の額によって変わります)。
ステップ3|信託口口座の開設・不動産の登記
契約後は、信託専用の口座(信託口口座)を開設してお金を移します。なお、信託口口座に対応している金融機関は限られているため、事前に専門家へ確認することをおすすめします。ここまでできて、仕組みが動き始めます。
介護の現場から伝えたいこと
最後に、認知症のご本人とご家族を15年見てきた立場から、お伝えしたいことがあります。
認知症は、ある日突然やってくるものではありません。
「あれ、少し忘れっぽくなったかな」から、ゆっくり進んでいきます。
そして現場で見てきた現実として、財産の備えができた家族は、例外なく「まだ大丈夫」の時期に話し合いを始めていました。
判断する力が失われてからでは、家族信託も、遺言書も、もう選べません。残る選択肢は法定後見だけになります。
家族信託は「財産の契約」である前に、家族の話し合いです。
「もし判断が難しくなったら、この家とお金をどうしたい?」——その会話こそが、いちばんの相続対策になります。
まとめ
家族信託は、認知症になった後も家族が財産を管理できるようにする、元気なうちにしか結べない契約です。
【家族信託のポイント】
- 認知症で判断する力が失われると、家族でも本人の財産を動かせなくなる
- 家族信託なら、自分で選んだ家族が、契約の範囲で財産を管理・活用できる
- 法定後見は裁判所が管理者を選び、専門職なら月2万円〜の報酬が亡くなるまで続く
- ただし家族信託に身上監護の機能はない(必要なら任意後見と併用)
【今日からできること】
- 親の財産に何がどこにあるか、一覧にして把握する(ネット銀行・ネット証券などのデジタル資産も忘れずに)
- 家族で「もしものとき、この財産をどうしたいか」を話し合う
- 検討するなら、判断する力があるうちに家族信託に詳しい専門家へ相談する
財産の一覧づくりの段階でつまずく方は、デジタル終活を専門にサポートするサービスに相談するのもおすすめです。
デジタル資産まで含めて棚卸しできれば、家族信託の設計も、その後の相続も、ぐっとスムーズになります。
「まだ早い」と思える今が、実は選択肢がいちばん多いときです。
今夜の食卓で、最初のひと言から始めてみませんか。
この記事の監修者

yusuke/介護福祉士・FP3級
介護福祉士として15年以上、介護現場でご利用者やご家族と接してきました。現在は個人事業主として介護タクシーを運営。介護の現場で見てきた"本当に困ること"をもとに、終活・介護・お金の話を、わかりやすくお伝えしています。
出典
- 厚生労働省「認知症および軽度認知障害(MCI)の高齢者数と有病率の将来推計」(2022年約443万人・2030年約523万人)
https://www.mhlw.go.jp/content/001279920.pdf - 東京家庭裁判所「成年後見人等の報酬額のめやす(平成25年)」(基本報酬 月額2万円・管理財産5,000万円超で月額5〜6万円)
https://www.courts.go.jp/tokyo-f/vc-files/tokyo-f/file/130131seinenkoukennintounohoshugakunomeyasu.pdf - 日本公証人連合会「公証人手数料」(信託は目的価額1億円以下の場合、通常の手数料に1万3,000円を加算)
https://www.koshonin.gr.jp/pdf/commission.pdf

