「認知症と診断される前」が勝負——今すぐ始めるべき法的手続き3選

Img260902

「親も自分も元気だし、まだ先の話」

認知症への備えと聞くと、そう感じる方がほとんどです。私は介護福祉士として15年以上現場に立ち、現在は介護タクシーの事業者として、認知症のご利用者やご家族と日々接しています。

その経験から、先に結論をお伝えします。

認知症対策の法的な手続きは、診断される前にしか選べないものばかりです。
迷ったら、まず費用の軽い任意後見契約遺言書から。実家の売却など、財産を動かす予定があるなら家族信託も検討してください。

診断された後に残される道は、実質的に成年後見制度(法定後見)だけ。そして最新のデータでは、家族が後見人に選ばれるのは約16%にとどまります。

この記事を読めば、なぜ「認知症と診断される前」が勝負なのか、そして今なにから始めればいいのかがわかります。

目次

なぜ「認知症と診断される前」が勝負なのか|契約に必要な「意思能力」

契約書と印鑑


理由はとてもシンプルで、法律のルールがあるからです。

民法には、次の条文があります。

法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする。(民法3条の2)

意思能力とは、契約の内容や結果を自分で理解して判断できる力のこと。2020年4月に施行された改正民法で、このルールが条文として明文化されました。

任意後見も、家族信託も、遺言書も、すべて法律上の行為です。
つまり、意思能力を欠く状態になってからでは、どれも有効に結べなくなります

ここで大切な注意点があります。

認知症と診断されたら、すぐにすべての契約ができなくなるわけではありません
意思能力があるかどうかは、契約の内容ごとに個別に判断されます。ごく初期であれば、公証人や医師の確認を経て手続きできる場合もあります。

ただし、それは「できるかどうか、やってみないとわからない」という不安定な状態です。症状が進めば、その可能性も閉ざされていきます。

そして、他人事ではない数字があります。厚生労働省の研究班の推計では、2022年時点で65歳以上の認知症の方は443.2万人
認知症の一歩手前とされるMCI(軽度認知障害)の方は558.5万人にのぼります。あわせると高齢者の約28%、およそ4人に1人という状況です。

2030年には、認知症の方だけで523.1万人に増えると見込まれています。

「まだ早い」と思える今こそ、確実に選べる唯一のタイミングです。

データで見る|認知症と診断された後に残る道は「法定後見」だけ

では、備えのないまま認知症が進むと、どうなるのでしょうか。
預金の解約や実家の売却など、本人の財産を動かす必要が出たとき、残された手段は成年後見制度(法定後見)の利用がほぼ唯一の道になります。

最高裁判所が公表した最新の統計(令和7年・2025年分)を見てみましょう。

  • 成年後見制度の利用者は全国で約25万9,900人……後見開始の主な原因は認知症が最多で約6割
  • 申立ての動機でいちばん多いのは……預貯金等の管理・解約
  • 後見人に親族が選ばれたのは約16.4%にとどまる……残りの8割超は司法書士や弁護士などの第三者

「家族がいるのだから、家族が管理すればいい」と考えていても、誰が後見人になるかを決めるのは家庭裁判所です。希望どおりにいくとは限りません。

さらに、第三者の専門職が後見人になると報酬が発生します。
東京家庭裁判所が公表している目安では基本報酬は月額2万円。管理財産が1,000万円を超えると月額3万〜6万円とされ、実際の金額は裁判所が事案ごとに決めます。

そして、この制度は原則として本人が亡くなるまで続き、途中で「やっぱりやめる」ということができません

法定後見は、本人の財産を守るための大切な制度です。
ただ、始まってからでは、家族が「いつ・誰に・どこまで任せるか」を選べないのも事実。だからこそ、選べるうちに自分で決めておく価値があります。

認知症に備えて今すぐ始めたい法的手続き3選

3つのチェック項目

ここからは、診断前の今だからこそ選べる3つの手続きを、目的別に紹介します。

①任意後見契約——「将来の代理人」を自分で選ぶ

任意後見契約は、判断能力があるうちに、将来の後見人を自分で指名しておく制度です。

「認知症になったら、長女にお金の管理と介護の契約を任せたい」というように、誰に・何を任せるかを自分で決められるのが、法定後見との最大の違いです。

手続きの要点は3つあります。

  • 契約は公証役場で公正証書にすることが法律で義務づけられている
  • 効力が生じるのは、判断能力が下がった後に家庭裁判所が任意後見監督人を選んだときから
  • 公正証書の作成費用は基本手数料1万3,000円+登記嘱託手数料1,600円+収入印紙代2,600円で、合計1万7,000円ほど+送料などの実費(2025年10月改定後の金額)

月々の費用は、監督人が選ばれるまでは原則かかりません。
備えとしては数万円で持てる保険のようなものです。なお、監督人が選ばれた後は、監督人への報酬(金額は家庭裁判所が決定)がかかります。

②家族信託——財産の管理を、信頼する家族に託す

家族信託は、財産の管理や処分を、元気なうちから信頼する家族に託す契約です。

任意後見との違いは、財産管理の自由度とスピードにあります。
たとえば「私が施設に入ったら、空き家になる実家を売って費用にあててほしい」という希望は、家族信託なら託された家族の判断で実行できるのが強みです。

一方で、初期費用は3つの中でいちばん大きくなります。公正証書の作成費用に加えて、契約の設計を司法書士などの専門家に依頼する報酬がかかるのが一般的です。

不動産をどうするかが決まっている方、まとまった財産の管理を任せたい方に向いた選択肢です。

③遺言書——財産の「その先」を決めておく

任意後見と家族信託が「生きている間の管理」の備えだとすれば、遺言書は「亡くなった後の承継」を決める手続きです。

そして、遺言書にも意思能力の壁があります。
民法は遺言をする時に能力がなければならないと定めています(民法963条)。

あまり知られていませんが、認知症が進んで成年後見が始まると、遺言のハードルは一気に上がります。
成年被後見人が遺言を残すには、判断能力が一時回復した時に、医師2人以上の立会いが必要になります(民法973条)。

「書ける元気があるうちに書く」が鉄則です。
公正証書遺言は令和7年(2025年)の1年間に全国で12万3,891件作成されており、毎年12万件前後の方がこの備えを選んでいます。

任意後見・家族信託・遺言書はどう組み合わせる?|目的別の目安

3つは「どれかひとつを選ぶ」ものではなく、目的に応じて組み合わせるものです。現場感覚も踏まえた目安を挙げます。

  • まず全員が検討したい……遺言書(費用が軽く、家族の争いを防ぐ効果が大きい)
  • お金や契約の管理を任せる人を決めたい……任意後見契約(月々の負担なしで備えられる)
  • 実家の売却など、財産を動かす予定がある……家族信託(託された家族の判断で実行できる)
  • 銀行口座の凍結対策だけ急ぎたい……銀行の代理人サービスなども併用

どの組み合わせでも、共通するスタートラインは同じです。
財産と希望を書き出して、家族と共有すること。ここには1円もかかりません。

介護の現場から伝えたいこと

頭を抱える高齢男性

以前、他の介護事業者の方から、こんな話を聞きました。

お母様の認知症が進んでから「実家を売って施設の費用にあてたい」と考えていたご家族がいたそうです。
しかし、その段階では売却の契約を結ぶことも、家族信託を組むこともできません。結局、成年後見制度を利用し、専門職の方が後見人になりました。

ご家族が繰り返していたのは、元気なうちに、財産のことを一言でも話しておけばよかったという言葉だったそうです。

私が現場で感じるのは、この話が特別なケースではないということです。
認知症は、ある日突然なるのではなく、気づかないうちに少しずつ進みます。「そろそろ考えようか」と思えている今が、実はいちばんの好機なのです。

まとめ|認知症と診断される前の「今」が、いちばん早い

要点を、放置した場合と今できる対策に分けて整理します。

【放置すると起こること】

  • 意思能力を欠くと、任意後見・家族信託・遺言書はどれも有効に結べなくなる(民法3条の2)
  • 残る道はほぼ法定後見だけ。後見人を家族から選べるとは限らない(親族が選ばれたのは約16%)
  • 専門職後見人への報酬(めやす月額2万円〜)が、原則亡くなるまで続く
  • 成年後見が始まると、遺言を残すにも医師2人以上の立会いが必要になる

【元気なうちにできる対策】

  • 遺言書で財産の行き先を決めておく
  • 任意後見契約で、将来の代理人を自分で指名しておく
  • 実家の売却予定があるなら家族信託を専門家に相談する
  • 財産とお金の希望を書き出し、家族と共有しておく

そして、これらの手続きと同じくらい大切なのが、財産や契約の情報を整理しておくことです。
銀行口座、保険、スマホやネットのアカウント——本人にしかわからない情報は、家族が動きたくても動けない原因になります。
デジタル終活のサービスもうまく使いながら、「情報の整理」と「法的な備え」をセットで進めてみてください。

備えは、ご本人の安心のためだけではありません。
将来、介護を担うご家族の負担を軽くする、いちばん確実な贈り物です。

この記事の監修者

監修者用写真

yusuke/介護福祉士・FP3級

介護福祉士として15年以上、介護現場でご利用者やご家族と接してきました。現在は個人事業主として介護タクシーを運営。介護の現場で見てきた"本当に困ること"をもとに、終活・介護・お金の話を、わかりやすくお伝えしています。

出典


目次